サンタ・クローチェ広場のダンテ像(インフェルノ) 2014.01.13 17:48

ラングドンがウィーン・ダンテ・アルギエーリ協会の講演で触れたサンタ・クローチェ広場にあるダンテ像

バルジェッロ宮殿礼拝堂のフレスコ画は、これだと思うんだけど、自信なし。(Dante Alighieri - Wikipedia)

フレスコは、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く。やり直しが効かないため、高度な計画と技術力を必要とする。失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すほかはない。

フレスコ - Wikipedia

サンタ・クローチェ広場

バルジェロ宮殿

バルジェロ宮殿は、現在の市長に相当する Capitano del Popolo の役所として建てられ、1261年にはフィレンツェの市議会が任命した市長ともいうべきポデスタの役所となった。この建物はそのころポデスタ宮殿 (Palazzo del Podestà) と呼ばれ、フィレンツェ最古の公共建築物だった。この簡素な銃眼のついた建物をモデルとして、後にヴェッキオ宮殿が建設された。1574年、メディチ家がポデスタの役職を廃止し、ここをフィレンツェの警察署長とも言うべきバルジェロの役所とした。このためバルジェロ宮殿と呼ばれるようになった[1]。この建物は監獄も兼ねており、1780年に大公レオポルト2世が廃止するまで、中庭で罪人の処刑が行われていた。フィレンツェ警察本部としては1859年まで使われ続けている。レオポルト2世が追放されると、トスカーナ臨時政府はバルジェロを監獄として使うことをやめ、国立美術館とすることを決定した。

バルジェロ美術館 - Wikipedia

インフェルノ Posted by .(JavaScript must be enabled to view this email address)

最近の記事

ANAの旅行総合サイト【ANA SKY WEB TOUR】